社会 (国際経済)
[ 要 点 ]
◆IMF体制は、アメリカ合衆国の通貨であるドルと金との兌換を保証した固定相場制を採用して発足した。
◆1971年8月にアメリカ合衆国はドル防衛策によりドルと金との兌換を停止した。同年12月のスミソニアン協定により、ドルの切り下げを含む通貨調整が行われたが、1973年には主要国が変動相場制に移行したため、IMF体制の役割は大きく変わるひとになった。
◆国際復興開発銀行(IBRD)は、戦災国の復興を長期資金の供与によって行うことを目的に、1944年のブレトン・ウッズ協定により設立されたが、現在は発展途上国への開発融資が中心となっている。日本は、昭和27年に加盟し、電気、道路建設等に多くの借款を受けた。
◆関税と貿易に関する一般協定(GATT)は、関税等の貿易における障害を軽減し、通商における差別を廃止することにより、加盟各国の経済発展を期することを目的として設立された。
◆WTOは、GATTを発展的に解消して設立された国際機関であり、1995年に新しい世界の貿易秩序の構築を目指して発足した。
● 世界の通貨体制
・短期的資金を融通
・金とドルの交換を保証した国際通貨体制
・当初は「固定相場制」をとっていたが、アメリカのドルと金の兌換停止により体制崩壊
・スミソニアン協定によるドルの切り下げをするも、変動相場制に移行したために、IMF体制の役割は変化した
国際復興開発銀行(IBRD)
・長期的資金を融通
・当初は、被災国の復興を長期資金の供与によって行うことを目的に設立されたが、現在は発展途上国への開発融資が中心となっている。
●世界の貿易体制
関税と貿易に関する一般協定(GATT)
・条約という多国間の協議の場にすぎない
世界貿易機構(WTO)
・正式な国際機関である
社会 (国際経済)
1929年のアメリカの大恐慌とその対応策して、各国はブロック経済体制をしき、国際貿易や経済の発展は阻害され、第二次世界大戦を引き起こす大きな要因となった。
そこで、アメリカを中心とした連合国が、第二次世界大戦後の国際経済の復興のため、外国為替相場の安定や国際貿易拡大を目指して、1944年にブレトン・ウッズ協定を締結した。
ブレトン・ウッズ協定では、上記の目的達成のために短期的資金を融通する国際通貨基金(IMF)と、長期的資金を融通する国際復興開発銀行(IBRD)の設立が決定された。
アメリカ合衆国の通貨であるドルと金との兌換を保証した固定相場制を採用して発足した。しかし、国際収支の赤字による金の流出やインフレによりドルによる金の価値保証ができなくなったアメリカは、1971年8月にドル防衛策をとりドルと金との兌換を停止した。
同年12月のスミソニアン協定によってドルの切り下げ(1ドル=360円から308円へ切り下げ)を含む通貨調整が行われたが、1973年2月には主要国が変動相場制に移行したため、IMF体制の役割は大きく変わることとなった。
1976年1月に、ジャマイカのキングストンでIMFの暫定委員会が開催され、IMFの協定の改正がなされ、1978年4月にそれが発効した。これをキングストン体制という。キングストン体制下のIMFは、各国の外国為替市場への介入の監視や、政策協調の協議機関としての性格を強くした。
3、国際復興開発銀行(IBRD)
国際復興開発銀行は、被災国の復興を長期資金の供与によって行うことを目的に当初は設立れたが、現在は発展途上国への開発融資が中心となっている。日本は昭和27年に加盟し、電気、道路建設等に多くの借款を受けた。
4、関税と貿易に関する一般協定(GATT)
関税と貿易に関する一般協定(GATT)は、IMFとIBRDの2つを中心とした世界通貨体制とは別に、関税等の貿易における障害を軽減し、通商における差別を廃止することにより、加盟各国の経済発展を期することを目的として1948年に設立された。
この内容については、条約の加盟国の間での交渉(ラウンド)で定められていく。
GATTは、その対象が商品貿易に限定されていたので、1986年9月には「ガット・ウルグアイ・ラウンド」で農業やサービスそして知的所有権をもその対象とするようになった。
その後、GATTは発展的に解消され、世界貿易機構(WTO)が発足した。
5、世界貿易機構(WTO)
WTOは、1994年4月にモロッコのマラケッシュで開催された閣僚会議で設立され、1995年1月に発足した。
WTOは、GATTのような各国間の条約の形態をとらず、正式な国際機関として設立され、貿易を巡る紛争の解決はすべて統一的な処理手続に従って行われることとなった。
社会 (国際経済)
[ 要 点 ]
◆ECはEEC、ECSC及びEURATOMの3共同体の機関が1967年に合同したものである。
◆UNCTAD(国連貿易開会議)は、発展途上国が中心となって運営されているもので、南北問題の検討を行う場となっている。
◆「発展途上国の経済開発などを主目的とした政府による贈与及び長期、低利の資金供与」を表す略語はODA(政府開発援助)である。
●EC発足からEU発足までの流れ
1967年:EEC,ECSC及びEURATOMが統合してECが発足
加盟国は当初6カ国(イタリア、フランス、西ドイツ、ベルギー、オランダ、ルクセンブルグ)
1973年:イギリス、デンマーク、アイルランド加盟により拡大EC発足
1975年:ロメ協定
1981年:ギリシャ加盟
1986年:スペイン、ポルトガル加盟
1992年:マーストリヒト条約(単一通貨制度、共通外交、安全保障政策などを導入したEU(ヨーロッパ連合)に名称を改めるものとする旨の取り決め)
1993年:EU発足
1999年:統一通貨「ユーロ」導入
●発展途上国への経済援助
・国連貿易開発会議…南北問題の解消を目指す中心機関
(UNCTAD)
・政府開発援助…発展途上国の経済開発などを主目的とした政府による贈与及び長期、低利の資金供与。
(ODA)
1、EU発足までの流れ
第二次世界大戦後、ヨーロッパにおいては、地域的経済統合が進展し、欧州経済共同体(EEC)と欧州自由貿易連合(EFTA)の経済統合があった。
EECは、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)に加盟していたフランス、西ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクの6カ国により1957年に結成された経済共同体である。
EFTAは、EECに参加しなかったイギリス、スウェーデン、ノルウェー、スイス、デンマーク、オーストリア、ポルトガルの7カ国により1960年に結成された経済共同体である。
1967年には、EECはECSCと原子力の平和利用や共同開発を目的として組織された欧州原子力共同体(EURATOM)と統合されて欧州共同体(EC)が結成された。
ECの加盟国は当初6カ国(イタリア・フランス・西ドイツ・ベルギー・オランダ・ルクセンブルク)であったが、その後、1973年にはイギリス・デンマーク・アイルランドが加盟、1981年にはギリシャが加盟、1986年にはスペイン・ポルトガルが加盟し、合わせて12カ国となった。
なお、その間の1975年には、ECと発展途上国(アフリカ・カリブ海及び太平洋諸国)とそこでの産品を無関税で輸入するなとの経済協定である「ロメ協定」が締結され、発展途上国の結集の動きもみられた。
その後、1992年にはマーストリヒト条約において、単一通貨制度、共通外交、安全保障政策などを導入しEU(ヨーロッパ連合)に名称を改めるものとする旨の取り決めがなされた。
1995年には、オーストリア・スウェーデン・フィンランドが加盟する。
1999年1月にはEUの通貨統合が開始され、単一通貨「ユーロ」が導入された。
2、ヨーロッパ以外での経済統合の動き
1967年に設立された。タイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポールの5カ国で結成された地域的協力機構である。
1984年にはブルネイが加盟し、1995年にはベトナムが加盟、1997年にはミャンマーとラオスが加盟し、その後、カンボジアも加盟してASEAN10といわれている。
(2)アジア太平洋経済協力会議(APEC)
1989年に設立された。日本、韓国、アメリカやASEAN諸国などからなる経済協力のための閣僚会議のことである。
1994年に設立された。アメリカ、カナダ、メキシコからなり、この国間の貿易制限や関税を撤廃し、自由貿易地域を作ろうというものである。
3、経済協力
(1)国連貿易開発会議(UNCTAD)
いわゆる「南北問題」を解消するために、国連に1964年に設置された機関である。
発展途上国の製品・半製品に関する一般特恵(先進国が無差別的に関税上優遇する措置)や先進国のGNP1%の資金援助を推進した。
(2)政府開発援助(ODA)
発展途上国の経済開発などを主目的とした政府による贈与及び長期、低利の資金供与のことをいう。