社会 日本政治史 (明治時代)

[ 要 点 ]


板垣退助立志社を設立し、その後、立志社が中心となって愛国社が結成された。

板垣退助自由党を結成し、主に農村で支持を得た。

大隈重信立憲改進党を結成し、都市の商工業者や知識人に支持を受けた。

黒田清隆超然主義(政府は政党の動向に左右されない)を表明した。


社会 日本政治史 (明治時代)内容

1、明治維新政府の成立

1868年1月、五箇条のご誓文等を発表し新政府の基本方針を示し、4月、政体書を制定し政府の組織を整える。7月には江戸を東京と改め、9月、年号を「明治」と改元一世一元の制をたてる。

1869年、東京に遷都する。


2、中央集権体制の確立

(1) 版籍奉還廃藩置県

1869年6月、新政府は各藩に版籍奉還を命じ、旧藩主を知藩事に任命。1871年7月、廃藩置県を実施し、府知事。県令が任命された。

(2) 中央政府の組織

1868年、政体書により太政官が設置された。太政官制は、当初七官(議政・行政・会計・神祇・軍務・外国・刑法の七官)を管轄するが、1869年官制改革により二官六省(神祇・太政の二官と民部・大蔵。兵部・刑部。宮内・外務の六省)となり、1871年、三院(正院・左院・右院)となる。

(3) 徴兵制

1873年1月、国民皆兵の方針に基づき徴兵令が公布され、近代国家としての軍制が整った。

(4) 地租改正

1873年7月、地租改正条例が公布され、1、課税基準を地価とすることとする、2、地価の3%の金納制とする、3、土地所有者を納税者とすることによって財政安定が図られた。

(5) 殖産興業

1870年、工部省が設置され、各地に官営模範工場(富岡製糸場、新町紡績所など)の設立、鉄道の開設(1872年東京・横浜間、神戸・大阪・京都間)、郵便制度の発足(1871年に前島密の建議による)、電信の架設(1869年東京・横浜間)、国立銀行条例(国法による民間銀行の設立)公布による金融制度の整備などの殖産興業政策が進められた。


3、自由民権運動


1874年の民撰議員設立建白書の提出を機に自由民権運動が高まり、同年、板垣退助や片岡健吉らによって立志社が設立され、翌年、立志社を中心に愛国社が結成される。

1880年3月、愛国社を中心として国会期成同盟が結成され、1881年10月、板垣退助を総理とする自由党が結成される。

政府は、大隈重信開拓使官有物払い下げ事件を機に罷免し、国会開設の勅論を出し、10年以内の国会開設を公約する(明治十四年の政変)。

1882年には、大隈重信を党首として、立憲改進党が結成される。その後、松方財政(大蔵卿松方正義)の下で、福島事件や秩父事件などが起こり、民権運動は一時衰退する。

国会開設の時期が近づくと、再び民権運動が活発化し、大同団結運動民権派反政府運動)とともに、三大事件建白運動(外交失策の挽回・地租軽減・言論の自由を要求する運動が起こる)。政府は保安条例で対処した。


4、憲法改正と初期議会


(1) 憲法制定

近代国家に習って憲法制定の準備が首相伊藤博文を中心に進められる。1889年に大日本帝国憲法が発布。

(2) 第一回総選挙

1890年7月、第一回総選挙が行われると、民党(旧自由党系と改進党を中心とする野党)は吏党(政府与党)を圧倒し、過半数議席を占めた。

民権派の勢力に対して、首相黒田清隆超然主義を表明する。

(3) 初期議会(第1議会〜第6議会)

1890年11月から開かれた第1帝国議会で首相山県有朋は、超然主義を継承し、政府と民党は対立を繰り返すことになる。


5、日清戦争

朝鮮における東学党の乱、庚午農民戦争をめぐり、日清両国は対立を深め、1894年日清戦争に発展した。日本の勝利に終わり、下関条約が締結される。

この条約における遼東半島の日本への割譲をめぐり、ロシアが仏・独をさそい遼東半島の返還を要求した(三国干渉)。


6、日露戦争

ロシアが満州を手中にすると、ロシアの驚異から日本は韓国の権益を守るため、日英同盟を締結する。1904年2月、日露戦争が始まり、5月、日本海海戦によって日本が勝利し、ポーツマス条約が締結された。