2005-11-15から1日間の記事一覧

まとめ

これ以後、フランスはナポレオンが皇帝となるナポレオン帝政の時代に入っていきますが、日本国憲法との関係では、この市民革命の話までが重要ですので、フランスの歴史については、このあたりにしておきます。 このフランス革命については、長々と話をしてき…

テルミドールのクーデターと総裁政府

革命政府が、国外や国内で勝利を得た1794年の段階で、モンターニュ派の中で指導者間の対立と不信が表面化しました。パリのサンキュロットの間に支持者が多かったエベール派は、民衆の過激な行動を扇動し、非キリスト教運動を進めて、銀行課の逮捕など過激な…

モンターニュ派(山岳党)の独裁と恐怖政治

独裁権を握ったモンターニュ派は、亡命者財産の売却、共有地分割法などで、土地を農民に分配し、1793年憲法を制定し、封建的諸特権の無償廃止を決定しました。1793年の封建的諸特権廃止では、封建地代は有償廃止であったので、93年のこの憲法はジャコバン憲…

第一共和政の成立と、内外の危機

1792年8月末から9月初めに普通選挙により議員が選ばれ、国民公会が成立した。国民公会は王政廃止と共和政(第一共和政)の樹立を宣言しました。立憲君主派は姿を消し、共和派のみとなった国民公会では議場の右のジロンド派と、議場の左のモンターニュ派(山…

立法議会の成立

1791年10月、新憲法による選挙で一院制の立法議会が成立しました。立法議会では、右翼に立憲君主派のフイヤン派が、左翼に共和政を主張するジャコバン派が陣取っていました。さらに、このジャコバン派には、小市民を支持基盤とする左派と、中産市民層を代表…

フランスの市民革命の流れ(その5)